体と心の容量が足りない。
この世界で起こることを全て赦すには。
私は自分が底なしの大きな穴のように感じることがある。
あまりにも多くを拾って、自分の中に招き入れてしまう。
今まで経験したことが、そのまま通過することなく染みついている。
私は経験や感覚のデータを集めるのが好きらしい。
まわりの環境のことも、人間という生き物も、感情というものも、全部何もかもが面白いらしい。
そして、折々で記憶の欠片がふわっと湧いてきて、ヒントを授けてくれることもあるし、トラウマとして私の身体を苛むこともある。
経験は宝、と言わんばかりに、とりあえず供されたものは全部いただく(皿まで)と生きてきたのだが、この頃は取捨選択をしてもいいのかな、と思うようになってきた。
全部飲み込もうとするくせに、一方で快、不快に嫌なくらい敏感で、ちょっとしたことで調子が悪くなったり、「あ、これはだめだ」と感じるとそこには向かえなくなってしまう。
選り好みするからこそ、しないようにしてきたところもある。
いいところを見つけるようにしてね・・・。
でないと生きられないと思った。
しかし、世間として重大と思われるところにおいて「振りをする」ことを拒み続けてきたのだけど!
だからどんなに寛大であろうとしていても、私ってこんなことも受け容れられないくらい小さいのかなあ、と落ち込んでいた。
人の気持ちや意見、立場、自らではどうにもできないことに対しては、かっかしたりせず、そうだねって受け容れたいと思う。
だけど「これはこうしないといけない、こうするものだ」と言われたことに関して「?」違和感を覚えてしまったら・・・もうだめですね(笑)
まわりの人たちは「こうしなくてはいけないから」でそれをすることができる、私は心が納得しないことには、体がてこでも動かなくなる。
身内に「そういうところが頑固」と言われた。「世の中の当たり前、便利に合わせて生きたほうが生きやすいのに、なぜ自ら生きづらくするの?」
私だって迷惑をかけた、悲しませた、気に障った、と思うのは辛い。
だけど彼らが生きること、彼らの経験、彼らの学びが、私の身になることはないのだ。
我慢し続けて、後で文句や意地悪を言ったとして、私の乾きが癒えることはない。
私の仕事は、私がやらなくてはならない。
彼らが決して受け容れなかったものを、私は受け容れようと決めた。
未開拓の分野のほうが面白そうだし!
私は深く潜ることができる。より奥へ分け入ることができる。内なる暗闇に入っていくことは怖くないから。
私は何がそんなに悲しいのか?
人類は一体何を恐れ、何によって駆り立てられてきたのか?
なぜ苦しみながらもこの世をあきらめきれないのか?