私は、「かなしい」(悲しい/愛しい)の感覚をもったまま、それでいて、その重さにやられないほどに強く生きられたらいいな、と思っている。
ほんの少しの重さ、悲しいような、淋しいような「好き」「大切に想っている」の気持ちをもったまま、慈しみある目をしたまま生きていたいと思う。
自由に憧れつつ、不自由から離脱する気はないらしい。
空を飛んでみたいとも思うけど、地上から星を眺めて、あれこれ想像するのは好き。
人間というものが、また自分が人間であることが「かなしい」と感じてしまう。
ほんま、ちっさいのが一生懸命ああでもない、こうでもないって生きてる。
声を張り上げて、だけどその声は遠くでは聞こえなくって
不確実に怯え、口をぱくぱくさせながら、手で空を何度もつかもうとしながら
何度も何度も絶望しながら、また心を凍りつかせて
自分自身の影に怯えながら
それでも出口を見つけよう、糸口を見つけようと
希望を棄てきれずに、必死で生きている。
出逢った人とはいつかお別れが来るし
手の中にあるものが失われれば、そのことを受け容れなくてはならないし
恨み続けるのはつらい、では赦すしかない
だけど赦すのもなかなかの苦しみ。
頭が言うことと、体が言うことがちぐはぐ。
私は「痛い」と感じることが怖い。
思いきれない自分に、震えるばかりで身動きとれない自分に
臆病だ、なんでそんなに臆病なんだ、と憤った。
心が傷ついて、生きること、息をすることすらとてもしんどくて、重たい体を引きずるようでも
それでも、目が覚めるうちは生きていくしかない。
だけど、生きていれば時に、想定を超えた「よき景色」に巡り合う。
ほんのささやかな、くすぐったいような幸運。
思っていた通りではなかった、だけどあの時の、ほんの少しの忍耐(死ななかった)が報われた、と思う瞬間が。
ありがとう!って思わず言ってしまうような。
気が弱ると、恐怖という下向きの力に逆らって頑張って立ってないと、負けそうって思うことがある。
それでも、どんな状況でも私は、望むものを見つけられると信じているらしい。
結局、諦められないのだ(笑)